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2013年06月17日

将来のためになる仕事につくこと

最近思うことです…

 世の中が豊かになってくると、第一次産業⇒第二次産業⇒第三次産業というふうに産業が拡大します。

そうなると、そこに新たに従事する若者もだんだんシフトしていきます。第一次産業では、従事者の高齢化、後継者不足が深刻です。

そして、今、第二次産業でも、技術屋が高齢化し、人材が不足しています。

 豊かな生活は、第一次、第二次産業のベースの上に成り立っています。

 否定的な立場にあるわけではありませんが、例えば暇つぶしのスマホ用のゲームを作るお仕事等に、能力の高い人材が流れたりするのは、社会全体として、ちょっと残念なことだと思います。

 もっと将来の世の中のためになることをすべきではないか?と思います。

 自分が今、一番心配しているのは、自分が工学系の出身だからかもしれませんが、原発の技術者(現場作業者という意味だけでなく、高度な科学的知識や技術者倫理を持った人)が足りていないことです(他にも人材不足が深刻な産業は多いですが…)。

 原子力政策がどうなっていくのか、将来のことはわかりませんが、とにかく、原発という高度な技術をきちんと理解できる能力を持った人間が不足するということは大変な問題だと思います。

 原発はずっと使い続けるられるものではないですから、少なくとも廃炉作業はこれから何十年もやっていかなくてはいけないし、放射性廃棄物も何百年先まできちんと管理していかなくてはなりません。

 未来とは勝手にやってくるものではなく、自分たちが作っていくもの。将来の世の中の為になる仕事につくこと、そういう人材になることの意味を、若い世代がきちんと認識する必要がありますね。…と自分に言い聞かせつつ、反省。  
Posted by 椅子張り工房・ミヤジマ at 00:39Comments(35)

2013年05月17日

自分にとっては何気ないことだけれど…

自分にとっては、それをやることが、そんなに苦労でもないけれど、

他の人からみたら、「おおっ、結構スゴイね」って思われることを

うまく活用した職業に就くことは、とても大事なことだと思います。


人にはそれぞれに、いろいろなタイプがいて、

人と話すのが好きな人、歌うのが好きな人、絵を書くのが好きな人、

計算するのが好きな人、パズルを解くことが好きな人…、

本当にいろいろな能力を持った人がいます。


社会人として、人間として、スキルというものを考えるとき、

全てのことをそつなくできる人の方が、いいような気もしますが、

社会というものは、助け合いでできていることを考えると、

全体的なスキルを上げることよりも、一つの飛びぬけたスキルを

組み合わせて、足りないところを補いあっていくことがとても大切なこと

なんだろうと思います。

私は椅子張りの仕事をしていますが、

ミシンで何かを作ることがとても好きです。

技術としてはそれほど高いものは持っていませんが、

好きという気持ちは、他の人よりはかなり大きいものがあると思います。

現実として”好きなこと”を仕事にするのは、結構難しいのかも知れません。

それは、仕事として、他の人に届け、感謝されるためには、好きなこととはちょっと種類の違うスキルが求められる場面があるからです。

そこをどのように乗り越えていくか?それが”好きなこと”を仕事にする人に求められる力だと思います。

好きなことの為、というエネルギーで、あまり好きではないけれど自分でやってしまうか、他の得意な人にお願いするか、どちらかだと思います。

自営業者として生きていく人のタイプは、なんでも自分でやってしまおうとする人が多いと思うのですが、社会の理想としては、得意な人にお願いすることだろうと思います。

人に頼ることは、事業を継続していく上で本当に大切なことなんだろうと思います。

自分も、自分で全部やってしまおうとするタイプなので、自分の得意なことは磨きつつ、信頼できる人に手伝っていただくということを大切にしていきたいと思います。

写真は端切れで作ったトートバッグです。
  
Posted by 椅子張り工房・ミヤジマ at 17:04Comments(12)

2013年05月14日

職人という職業/修理という仕事

椅子張り職人だけでなく、世の中のあらゆる職人と呼ばれるスタイルの職業人を

育成していくことは、非常に難しい問題なのだと思う。

あらゆる産業に関わる職人仕事についても、効率を求めるための分業化が行われ、

全ての工程に関わる技術を高次元でバランスよく身に付けている人は、

昔からの職人さんだけだと思う。


現代の職人の能力が低いのかと言えば、決してそうではないと思う。

ただ、分業化された仕事をする中では、いろいろな技術をトータル的に学ぶ時間的な

余裕がないため、昔のような本当の職人さんが生まれてこないのだと思う。


例えば、世の中に溢れている、カバンを作る鞄職人の現状はどうなっているのかについて調べてみました。

このサイトを読ませていただきました。

http://japanbag.com/faq/bagartisan

職人への成り方として、専門学校などで初歩的な所までは教えてくれるところがあるようですが、

いざ職人となったとしても、職人として働いていく現実はやはり厳しいものがあるようです。



自分が取り組んでいる、修理という分野の仕事には、それに関わる全体的な知識が求められます。

修理ができるということは、そのモノの作られ方が分かっている必要があります。


椅子、カバンに限らず、何かを修理しようとすると、結構なお値段がしてしまうのが現実です。

そもそも、モノを作るということは、それなりにコストがかかるものなのですが、

分業化され、効率化されたモノづくりが主流のこのご時世においては、

コストは極限まで抑えられ、修理のような非効率な作業は、好んで行われることではないのだと思います。



様々なものが効率化されることは悪いことだとは思いませんが、

修理ができる人材が世の中にいなければ、モノを大切に使い続けていく、そういうスタイルの生活・文化が廃れてしまうのだと思います。

それは、人間として非常に淋しいことだと私は思っています。

自分の仕事もなかなか厳しいところもありますが、このような現代社会の中で生き残っていくことこそが究極の使命だと思っています。

また、このような考え方に共感いただける人を少しでも増やし、修理ができる人材を次世代に残していくことも、現代社会に生きる私たちの使命でもあると思うのです。  

Posted by 椅子張り工房・ミヤジマ at 20:16Comments(19)

2013年05月10日

働き方と価値観

私事ですが、自分の学歴に関しては、それなりに頑張ってきて、社会一般では、エリートと称する人もいると思います。

しかし、自分はバックグラウンドとかでしか人を判断できない人達からの、目に見えない期待感のようなものが非常に嫌いです。
恐らく、私と同じような気持ちでいる人も少なからずいるのではないかと思います。

私が今のような働き方をしていることを話すと、「何で?」とか「もったいない」とかいうことを言われることがあります。

なぜこのような反応になるのかを考えてみると、そこには価値観の相違、就労に関する考え方、人生に関する考え方の違いがあるのだと思います。

自分の周りにはいないのですが、それまで積み上げてきたものを捨てて、新たなものに挑戦していくタイプの人もいる、ということを本などで知ると安心しますし、自分も頑張ろうという気になります。

人生観、就労観は人それぞれ。
それまでの社長業を辞めて、違う場所で新たな仕事の楽しみ方、人生の楽しみ方を見出す、そんな人もいるようです。

自分の仕事でうまくいかないとき、やっぱり勤め人の方が良かったのか、と出戻りサラリーマンになるかという誘惑に駆られるときもありますが、今は目の前にある課題をこなしていくだけです。

立ちはだかる問題をうまく解決できないこともあると思いますが、そういう経験を通じて自分自身を成長させていきたいと思います。  
Posted by 椅子張り工房・ミヤジマ at 00:26Comments(20)

2013年04月28日

どれくらいのレベルでやりたいか?

自分のやりたいことをどれくらいのレベルで達成するのか、

ということを考えるのはとても重要なことだと思う。

例えば、子供が将来なりたい職業としてスポーツ選手をあげることがよくあるが、

それは純粋にやりたいことであって、生活のことのような現実的な問題なんてのは、

全く関係無い状態での話。


ただやりたいことをやっていれば幸せかというと、

実際にはそうではないことも多い。

現実的な問題として、まずは自分を含めた家族を養っていけるだけのものは

確保しなくてはならないということがある。

このベースの部分がクリアされた状態で、

やりたいことをやるのが一番幸せなんだろうと思う。

理想を言えば、やりたいことをやってそれで生計が立ち、

経済的にも精神的にも充足できることが一番なんだろうけど、

必ずしも、やりたいことと仕事が同一である必要もない。

趣味でやって、それで満足感を得ることはたくさんある。

趣味ならば、お客さんはいないわけだから、自己満足ではあるけれど、

その人がそのレベルで満足できるならば、それでいいと思う。


やりたいことを仕事としてやるかどうかということは、

仕事に対する価値観の問題であり、

また、自分のやりたいことをどれくらいのレベルで達成するのか、

という目標設定の問題だろうと思う。


と、こんなことを考えていると、自分の仕事も週末起業という形での

スタートという選択肢もあったように思う。

週末起業だと時間も限られるので、こなせる仕事量は減るけれど、

自分のやりたいことがそのレベルでいい、というのであれば、

この選択肢も悪くない。

現実に抱える問題がありながら、起業をしてみたい方には、週末起業はおすすめだと思う。

いざやってみなければ分からない問題がよく分かるし、そういう問題に突き当たったときに、

自分がそれをどれくらいのレベルでやりたいんだ、という問いを自らにする良い機会となる。

ただし、勤め先の就業規定などで制限されている方は無理をしない方がいいとは思います。
  

Posted by 椅子張り工房・ミヤジマ at 23:41Comments(9)

2013年04月24日

靖国問題…

靖国神社の春の大祭で国会議員の多くの方が靖国神社を参拝されたとのニュースが流れていました。

東アジア情勢を鑑みると、こういうニュースを取り上げること自体が、どういうつもりなのかと疑問に思います。

私は歴史に詳しくないので、あまり込み入ったことは書けませんが、どう考えても、中国、韓国の反日感情を

逆撫でしているようにしか思えません。こういうニュースを取り上げるマスコミとは、いったい何を伝えたいのでしょうか。


個人的に参拝して、それで終わりにしておけば、それでいいと思うんですが…。

マスコミさんたちだって、それをニュースに取り上げず、こっそりしておいたほうが、日本の為になると思います。

はっきり言って、国民は、誰が靖国神社に参拝して、誰が行かなかったか、なんてあんまり興味ないと思います。  
Posted by 椅子張り工房・ミヤジマ at 00:02Comments(8)

2013年04月18日

ブログ再開。ブログを書けていなかった理由。

ブログの更新が途絶えて、早8か月。

Facebookやtwitterのような短い文章はそれなりに投稿していたのですが
ブログというと、長文を書かなくてはいけないような固定観念があり、
長文を書くことへのエネルギーが途絶えてしまっていました。

また、ブログに書く内容は、絶対的に正しいと思えることじゃなきゃ
ダメなんじゃないか?中途半端な文書じゃダメなんじゃないか?
と体裁ばかり気にしていました。

だから、自分が素直に感じたこと、素直に思ったことを書く前に、
そのトピックに関連して他の方がどんなことを書いているのか、
そのトピックを検索して、どんな世論なのかをチェックしたりして、
自分の考えの浅さや、論点のズレ、表現力の不足などが、
どうしても気になって、ブログを書くことから離れてしまっていました。

しかし、ブログを書くことの意味を今一度考えなおしてみました。

ブログなんていうのは、自分の書きたいことを素直に書けばいいんだと思います。
(もちろん、法に触れるようなことは書いてはいけませんが…)
素直に書くからこそ、オリジナリティのある面白い文章が書けるのでしょう。


文章の体裁が悪いとか、表現力の問題だとかは、伝えたいことがしっかり伝わるように努力していけば、
自然に解決する問題なのだと思います。


今までは、自分自身というものを評価する際に、他者との比較という点を重視していたような気がします。
いわゆる相対評価というものですね。


話が若干ずれますが、雇われて働いていたときは、給料の高低を他の会社で働いている人と比較して、
多い、とか全然もらえてないとか、今思えば、本当にくだらない話をすることもありました。

しかし、個人で仕事をするようになってからは、考え方や働き方、稼ぐ金額などを他者と比較することに
どれだけの意味があるのだろうと考えるようになりました。

ブログで書く内容に関しても、その文章の体裁や、着眼点、考え方、
そういうものを他者と比較しても仕方がないのだろうと、今日、ふと思い立ちました。

そういうわけで、これからは、ブログの長さ、内容、体裁にこだわることなく、
このブログを通じて、自分が日々感じたことを頻繁に更新していくことにします。

そして、こういう自分の気持ちや考え方をアウトプットする機会を設けることで、
自分自身の、アウトプットする力を少しずつ向上させていきたいと思います。

ブログ再開の宣言でした。  

Posted by 椅子張り工房・ミヤジマ at 21:32Comments(24)

2012年08月17日

オリンピック観戦から考えた事

ロンドンオリンピックが閉幕しました。

日本選手団は、過去最高のメダル獲得数という
輝かしい記録を残しました。

オリンピック(夏季オリンピック)と言えば、4年に一度の開催。
この4年に一回のこのタイミングに自分のピークを
調整して合わせることは、実力だけではどうにも
ならないこともあるのだろうと想像します。

また、体格の劣る日本人選手が、世界との戦いの中
でメダルを取るということは、本当にすごい努力を
しているのだろうと思いますし、それと同時に、スポーツは、
肉体的な部分だけではなく、頭脳的なもの、精神的なもの
協調性、支えてくれる人、そういう部分もかなり大切なもの
なのだと思いました。

そして、競技者である前に、一人の人間としての大きさというか、
完成度というか、そうういうものがしっかりしていないと、
つらい練習を乗り越えていくことや、ここ一番で最高の
パフォーマンスを見せることはできないのではないか、
とも思います。

競技者でない、いわゆる普通の人の人生においても、
結局は同じようなことが言えるのではないかと思います。

仕事に関する何か一つだけのスキルが飛びぬけていた
としても、その人が仕事で大成功するかと言えば、
必ずしもそうではありません。
また、完全に一人でスキルを高め、仕事をしていくことも
ほぼ無理なことだと思います。

仕事のスキルを高めること、人間としての器量を大きく
すること、そういうことの為には、どうしてもまわりの人の
サポートや、なんらかの影響が必要だと思うのです。


オリンピックを観戦していて、印象に残った点として、
選手のインタビューで、必ずと言っていいほど、
支えてくれた人への感謝の気持ちを言葉にしていた
ということがあります。

人間誰しも、本当に自分で何かを成し遂げたとき、
どうだ、すごいだろう、俺って!って心の中では
なると思います。しかし、そのような中でも、
感謝の気持ちをまず言葉にできるということは、
本当に心の底から、そう思っているのだと思います。

自分自身のことを考えてみてもそうです。
生み、育ててくれた親、いろいろなことを教えて
くれた数々の先生、仕事を教えてくれた先輩、
独立を応援してくれた人々…、数えればきりがありません。

自分の事業が成功しても、それを継続していくには、
やはり周りの人々に感謝することが大事なのだろうと
思います。


現在の世の中は不景気で、本当に世知辛い世の中に
なってきていますが、昨年の震災をきっかけに、
人と人の絆の大切さが再認識されてきています。

絆とはいったい何なのか?
辞書で調べたら、「人と人の断ちがたい結びつき」
と出てきました。

結びつきの根底にあるのは、自分が支えられて生きている
という、支えてくれる人や、社会に対する感謝の気持ち
なのだろうと思います。

普段の生活の中で、周りの人に素直にありがとうと
感謝の気持ちを伝えるのは、結構恥ずかしかったりする。
だけど、言葉にしなくても、心の中にそういう気持ちを
持っているか、持っていないか、では全然違う。

言語というのは、人と人のコミュニケーション手段のうち、
それほど大きな割合を占めていないということを聞いたことがあります。
やはり、大切なのは、心の中にある気持ちなのだと思います。

自分はきちんと感謝できているか、
そういう気持ちをきちんと持てているか、
改めて考え直させられました。

オリンピックが終わり、テレビでは高校野球、パラリンピックと、
まだまだ熱い戦いが放送されます。

それぞれの競技者の活躍や、コメントから、
また多くのことを考えさせられるでしょう。

日本人選手だけでなく、世界中の競技者が、
最高のパフォーマンスを見せてほしいものです。
結果がどうであれ、その人にとっての最高のパフォーマンスは、
支えてくれた人々への最高の恩返しなのだと思います。  
Posted by 椅子張り工房・ミヤジマ at 18:51Comments(1)

2012年07月10日

地産地消

地産地消というと、農作物のことを連想しますが、

人に関しても、地産地消が理想なのではないか?と個人的には思っています。

どういうことかというと、

その土地に生まれ(産まれ)、その土地で消費(生活)するということです。


県民性等もあるのかもしれませんが、自分は、自分の生まれた土地が好きです。

遊ぶところはほとんどないけれど、自然が沢山あって、静かで落ち着いているところが好きです。


大学を卒業した同級生の多くは、関東地方に行ってしまいました。

大企業の本社が東京に集中しているので、仕方ないことなのですが…


私は、就職活動で関東地方に行ったときに、

ラッシュアワーの電車を体験した瞬間に、

ここは自分の生活すべき場所ではない、と悟り、

関東地方に勤務する可能性がある会社は、

自分の就職先リストからは削除しました。


実際に関東地方で生活したことが無いので、なんとも言えないところがあるのですが、

住むところも、食べるものも、高いし、人が多くてごちゃごちゃしているし、

そのデメリットを補ってあまりあるほどの魅力があるのかと、

いつも疑問に思っています。


日本の人口の1/4にあたる3000万人が関東地方に居ると言われています。

ビジネス・文化の中心が東京なので、こういう状況であることは、当然のことかも知れませんが、

高齢化し、過疎化する地方を見ていると、若い人がどんどんそういう地域から流出してしまうのは、

ちょっと淋しい気がするのです。


これだけデジタル化した世の中なのですから、

パソコンで仕事ができるような仕事は、在宅勤務をもっと奨励してはどうかと思っています。

それでも、会社組織として機能していくには、たまには直接顔を合わせて会議をすることも必要だと

思いますので、月に1~2回ぐらい会議の為に集まるという仕組みなどやってみても面白いのかも知れません。

地方で仕事をして、たまに会議の為に集まる、という、いわゆる現代版の参勤交代、どうでしょう?


地方に若い人が多くなれば、それぞれの地域も活性化すると思いますし、

何より、地方で生活する人が増えれば、地方経済も活性化します。

自分が実家に戻ってきて、ここで仕事を始めたのも、地方経済、地域社会に、何かしらの形で

貢献したいと思ったからなのです。


関東じゃなきゃ出来ない仕事、というのは少ないと思います。

地方都市でも同じような仕事はできると思います。


生まれた土地、育ててくれた家族、育ててくれた地域社会、社会全体が、もっとそういうものに感謝をしても

いいんじゃないかなぁ、と思っています。
  
Posted by 椅子張り工房・ミヤジマ at 00:06Comments(4)

2012年06月24日

中東経済について

とある中東経済に関するセミナーを受講してきました。

覚え書きとして、今日新しく勉強したことを記事にしておきます。


UAE(United Arab Emirates;アラブ首長国連邦)について

首長国連邦という、あまり聞き慣れない国のスタイル。
連邦ということは、いくつかの国が集まっているということですが、
今まで、それがどんな国(首長国)か、ということを知りませんでしたが、
以下の7つの首長国が集まって一つの連邦を形成しているということです。

・アブダビ
・ドバイ
・シャルジャ
・アジュマン
・ラス・アル・カイマ
・フジャイラ
・ウムアル・カイワイン

この中でも、特にアブダビが面積的にも、政治的にも影響力が大きく、
その次にドバイが大きい模様。また、近年のドバイの経済発展は目覚しいものがあります。
しかし、この2つの首長国以外は国際的にはほとんど知られていないようです。

UAEと言えば、オイルマネーで潤っている、というイメージがありますし、実際にそうなのですが、
近年のドバイの発展はオイルマネーとは直接関係ない模様です。
ドバイではほとんど石油は算出されない、とのことです。
ドバイの発展の基礎となっているのは、ビジネス環境と都市インフラ整備にあるようです。
1983年に、ジュベル・アリ港
1985年にはジュベル・アリ・フリーゾーン
という経済特区を設立。
オイルショック後、オイルマネーによって潤い、余乗となった資金(オイルマネー)が、
積極的に開発を進めていたこの経済特区に流れ込んだのが、近年の爆発的な発展の原動力となったとのこと。

アジアの香港にしろ、シンガポールにしろ、経済特区を作って外資を集め発展するというモデルが
近年は多く見られるような気がします。

我が日本にも、経済特区を作ってくれないか、と思うのですが、なかなか進まないところを見ると、
難しい問題なのでしょうね。石原東京都知事が、カジノ建設構想など提言されたことがありますが、
私としては、ぜひとも作って欲しいと思うのですが。
カジノ建設に反対している人は、ぜひ海外のカジノや、経済特区などを体験して、
実態を見てみるべきでしょう。百聞は一見にしかず、です!


その他、中東に関する情報を沢山聞いたのですが、
特に書いておきたいのは、UAEを含む、湾岸協力会議(GCC; Gulf Cooperation Council)諸国で、
脱石油の考えで経済政策がすすめられているという点に、非常に感心いたしました。

(ちなみにGCCに含まれる国々
・UAE
・サウジアラビア
・クウェート
・バーレーン
・カタール
・オマーン)

資金的に余裕があるから、次のことを考える余裕があるのかも知れませんが、
3・11を経験した我が日本も、脱石油、脱原発を本気で考え、実行していかなければ
いけないと思います。

次世代のエネルギーを見つけるためには、それに関わる研究開発や
技術開発等に、資金やエネルギーを注ぎ込まなくてはなりません。
農業で、全て食べ尽くさず、次の収穫時期の為に種を残すように、
エネルギーも使い切る前に、それを次世代のエネルギー開発のために
使わなくてはならないと思います。
それが、まさに今ではないか、と個人的には思っています。

核分裂のエネルギーを利用した発電は、安全面以外では
脱・石油の第一候補となっていましたが、安全性の確保、
リスクの高さから、また別のエネルギー源を探さなくてはいけません。

技術的には、世界で屈指の力を持つ日本。
夢物語だと思われてきたことを数々のブレイクスルーで実現してきました。
日本なら、いや、世界が協力すればできないことはないと信じています。

技術開発力の高い日本。
しかし、政治はちょっとお粗末としかいいようがありません。

政党間でのダメ出しや、与党内で分裂ばかりしていないで、
大きなビジョンを掲げ、それに邁進していって欲しいと願うばかりです。

話が脱線してしまいましたが、中東の経済から、今後の世界の在り方まで
いろいろなことを考えさせる材料をいただいた3時間でした。
  
Posted by 椅子張り工房・ミヤジマ at 20:54Comments(7)

2012年06月16日

社会保障費の増加に思う。

社会保障と税の一体改革についてのニュースが流れています。

国家財政支出の約3割を占めているのが社会保障費。
公債残高(国の借金)の増加の要因は、高齢化の進行による
社会保障費の増加が主なものとなっています。

増え続ける高齢者のために、多くの税金が注ぎ込まれています。

私の考え方は、ちょっと極端かもしれませんが、
何も生産的なことをしてくれない人達に対して、
どんどん税金が注ぎ込まれ、その税金の担い手が、
不況で賃金も減らされている若い世代であることは、
国家として、非常によくない状態だと思うのです。

自己責任という言葉を、数年前からよく聞くようになったと思います。
自分の資産は自分で守る、とか、自分の老後は自分で積み立てるとか、です。
でも、それがしたくても、高齢者の社会保障に若い世代のお金が使われている。
この世代間不公平が今後、どんどん国のエネルギーを奪っていくような気がします。


そもそもなぜ、社会保障費がこれだけ大きくなってきているのか、
根本的な解決策は何か?ということを政治家は真剣に考えているのか
と不安になります。

社会保障費が増えてきているのは、単に高齢者の数が増えてきている
だけではないと思うのです。余生の長期化、医療の高度化によって、
高齢者一人あたりの医療費が増加しているからだと思うのです。

特に私が問題だと思うのは、延命治療の在り方です。
人工呼吸の他、最近では、”胃ろう”という方法などがあります。
胃ろうとは、自力でものを食べる、飲み下すことが困難な患者の
腹部に1cm未満の穴(ろう孔)を開け、そこに胃ろうカテーテル
という器具を挿入して直接栄養剤を胃に注入するものだそうです。
我が家では、胃に穴を開ける、と表現しています。

私が思うには、まだまだ将来がある若い人を除いて、
高齢になってからのこういう治療は、本来やるべきではないと思うのです。

生物として、ものが食べられなくなった状態で、他の助けを受けながら生きる、
そして特に何かを生み出したり、社会に貢献したりすることが出来ない状態で
国のお金、若者世代の希望を削り取りながら生き続ける…、
これは生物として本来あるべき姿なのだろうか、と思います。

医療はどんどん進化しています。
人間の欲望もどんどん進化しています。
(欲望が進化しているから医療が進化しているとも思えます)
この少子高齢化の時代において、こういう延命治療の技術がどんどん発達することは、国家として、自らの首を締めていることと同義なのではないか?と思います。

持続可能な社会を作っていくためには、人間の欲望というものをある程度コントロールしていく
必要があるのだと、個人的には思っています。
環境問題で、持続可能(サスティナブル)な社会という表現がよく出てきますが、
自然環境・資源エネルギーの問題だけでなく、人間社会というものの持続可能性も
考えるべき時代なのだと思います。

”欲望は自らを滅ぼす”、歴史を勉強しているとき、そんなキーワードが浮かんできました。
全てが発展することが幸せのための条件ではないと思います。
仕方が無い、とか、しょうがないとか、諦めるしかない、というような言葉で
対応されてきた状況にも、人間は科学の力で対応できるようになってきたと思います。
しかし、諦めるという選択肢もベストな選択肢となりうる状況もあります。

焼け野原になった戦後の日本から、ここまで日本を発展させてきた世代の方々への
敬意は、もちろんありますが、若者世代の希望や、国家の未来を奪うような、そんな
医療はあまりすべきものでは無いと思います。結局誰も幸せになれないと思います。

なかなか難しく、答えも見つからないような問題ですが、
幸せな人生・幸せな国家を目指すには、死というものについて、
もう少し真剣に考えていかなくてはいけないのだと思います。  

Posted by 椅子張り工房・ミヤジマ at 18:37Comments(4)ニュース

2012年06月11日

大阪ミナミ・通り魔事件について

「自殺しようと思って現場近くで包丁を購入したが死にきれず、

人を殺せば死刑になると思ってやった」とのこと。

ニュースの事件後の映像や、容疑者の残虐性について聞き、本当に恐ろしい事件だと思いました。

また、自殺という行為、これは、非常に勇気のいることなのだと改めて思いました。

人を殺すことよりも勇気のいることなのだと思います。

人間は、結局自分が可愛くて、本能的に自分というものを守るようにできている、

だから、それに反するということは、本当に難しいことなのだろうと思います。


生存する権利、これは保証されています。

死ぬ権利…、これは認められるのかどうか、よく分かりませんが…

人を殺す権利、これは絶対にありません。

自分が死にたいから、死刑というプロセスを経るために、人の命を奪う、

そのプロセスさえ踏めれば、奪う人の命は誰のものでも構わない…、

この思考、本当に自分勝手で、精神的に非常に弱い。

同じ人間として、こんな人間がいるということは、非常に残念でなりません。


生と死に関するトピックは非常に難しい問題なので、

何が正しく、何が間違っているのか、言い切ることもできませんし、

自分の考えも上手くまとまりませんが、

人間がだれか他の人間の命を奪うという行為だけは、

誰にとっても不幸であるということだけは確かなことだと思います。  
Posted by 椅子張り工房・ミヤジマ at 19:48Comments(14)ニュース

2012年06月01日

スーパークールビズと原発

スーパークールビズという節電効果を狙った服装スタイルの推奨を環境省が行なっています。

6月1日からスタートということで、今日のニュースでもそのことが取り上げられていました。

環境省では、アロハシャツや、Tシャツ、ジーンズでの出勤も認めているそうです。


毎年、この時期になると不思議に思うのですが、

日本のビジネス上、ネクタイって必須なのでしょうか?

スーツは絶対着なくてはいけないのでしょうか。

スーツはビジネス上では、一般的に正装という共通認識だから、

それ以外のものを着ているということは、正装ではない⇒つまり、失礼にあたるということでしょう。



真夏のスーパークールビズの時期になると、必ず、かりゆしウェアを国会議員をテレビで見ます。

沖縄では、ホワイトカラーの服装として認められていることがあるからだと思います。


伝統的な衣食住のスタイルは、その土地に適応したものだと思います。

着物は、高温多湿の日本の風土にとても合っている服装だと思います。

それは、温度が少し上がったとはいえ、現代においても快適な服装であることにかわりはないと思います。

しかし、文化の欧米化や、経済成長の中で、着物のスタイルよりも、

欧米風の服装の方が都合がよくなってしまったので、今では、着物を着た人を

見ることは、特殊な集まりを除き、ほとんどありません。


仕事着としてスーツを着て、スーツで暑いからエアコンの設定温度を下げざるを得ず、

そのエアコンの為に、原発を稼働しないと、電力が足りなくなるかもしれないという、この現状を見ると、

本当に馬鹿らしいことをしているな、と思ってしまいます。

そろそろ、カッコつけて無理矢理スーツを着るのをやめたらどうでしょうか?

みんな分かっているはずです。スーツを脱げば涼しいことを。

いわゆる、そもそも論です。

僕は、この「そもそも論」が大好きです。

結果というものには、必ず原因があります。

結果に対して、どう対処するかという、いわゆる対処療法的なアプローチと、

原因の方をなんとかするアプローチがあります。

世の中、対処療法的な事が非常に多い気がします。

これは、医学の分野で顕著です。

東洋医学では、病気にならないようにするような姿勢ですが、

西洋医学では、病気になってから、その対処をどうするか、という姿勢。
(現代は西洋医学が主流です)

原発の件も同じだと思います。

電力が足りない(これは結果)から、どうするか?

エネルギー効率の良い原発を使おう(対処)、となっているわけです。

電力が足りない方の対策も、最近でこそ、やっと節電と言われ始めたところです。

経済的なことに関しては門外漢なので、使用電力が減ることは、経済的に見てどうなのか

は分かりませんが、原発事故を経験した今の時期に、もっと真剣に今後のエネルギーのことに

ついて考えていかなければならないと思います。

当たり前のことを当たり前に考え、行動する。

これが意外とできていないのだと思います。

これができれば、答えは、意外に簡単なところに見つかるのかも知れません。

  
Posted by 椅子張り工房・ミヤジマ at 23:58Comments(13)

2012年05月25日

食品添加物に思う

加工食品のパッケージの裏側に表示されている

原材料を見ると、一体どれだけの添加物が使われているのかと、

ちょっと大げさかも知れないけれど、大丈夫か?と思ってしまいます。


なぜこんなにも食品添加物が使われているのか?ということを考えると、

全てはコストダウンの為だと思います。

食品添加物を使うということは、人間が感じる味や、保存性を

人間が人工的に変えているということです。

食品添加物を使えば、高価な原材料を使わなくても、大体同じような味が

出せるし、保存が効くし、値段が下がれば消費者は喜び、売上も上がる。

コストダウンという観点だけから見れば、食品添加物はまさに魔法の粉。

また、複数の食品添加物が使われているのは、

一つの添加物だけでは、全体の味のバランスがおかしくなるので、

味を調整するために、別の添加物を入れ、色みがおかしくなるので、

着色したり、香りを付けてごまかしてみたり、と、どんどん数が増えていくからでしょう。

しかも、一つ一つの添加物の健康影響については、ある程度の基準をクリアしている

はずなので、健康影響は小さいのかも知れませんが、複数の添加物の複合的な影響

というものに関しては、実はよく分かっていないという現実もあります。

…このように、添加物と言えば、何かと悪いことばかり連想する(実際に良くないはずなのですが…)、

のですが、悪いことばかりではありませんでした。

それは、食料のコストが下がり、保存性もよくなったことで、沢山の人に食料が行き届くようになったこと、

それから、加工品が増えたことで、家事の手間が減り、女性の社会進出を促進した、等です。

このように、ある意味で社会の豊かさを支えてきたのかも知れません。


食品添加物の問題を考えるとき、いつも日本の豊かさの在り方について考えてしまいます。

日本人が目指してきた”豊かさ”とは一体何なのか?

今、私たちの社会は”豊か”といえる状態なのか?

今後、私たちは、どんな状態を”豊か”ととらえて、どのような方向に進むべきなのか?


食品添加物、というのは、極端に言えば、味覚に錯覚を起こさせるものだと思うのです。

食品添加物の進化の歴史は、この”錯覚させる技術”の進化の歴史だと思います。

食品の世界で起こった、錯覚させる技術の進化は、その他の分野でも起こったのではないかと思います。

例えば、安くなった衣料品。消費者としては安くなれば嬉しいです。たくさんの衣料品が手に入り、

豊かな気分になります。しかし、その裏には、コストダウンのため海外での生産やそれに伴う国内産業の空洞化

使い捨ての助長もしているのかも知れません。

他には、携帯電話の普及。コミュニケーションが活発になり、人と人の繋がりが強くなるような

気がしますが、実際には、社会全体としてコミュニケーション能力が低下している現状もあります。


いろいろなモノが世の中にあふれ、私たちは豊かになった、と錯覚させられているような気がします。

本当の豊かさとは、自由な時間があり、自分の好きなことに使える時間があり、

愛する人、家族と分かち合う時間が沢山持てることではないのか、と思います。


たくさん働けば豊かになれる、欲しいものが買えるようになる、家族との時間が増える…、

そう思って、ただひたすらに、がむしゃらに、自分たちの周りの自然環境や、家族との時間、

さらには将来世代に残しておくべき自然や資源、財産まで使って、急速な発展をしてきました。

しかし辿りついた現実は、物的な豊かさとは裏腹に、閉塞感しかない、どんよりとした社会。

こんな社会だからこそ、本当に手に入れられない豊かさを、錯覚させて感じるような方向に

すすんでしまうのかも知れません。

本当の豊かさというもの、本当の幸せというものは、

意外と、自分のすぐ近くに転がっているのかも知れません。

小さな豊かさや小さな幸せをちょっとずつ積み重ねれば、

きっと本当の豊かさや幸せは手に入れられると思うのです。

食品添加物からは、かなり話が飛びましたが、

錯覚でなく、本物の豊かさを目指していきたいですね。  

Posted by 椅子張り工房・ミヤジマ at 23:21Comments(9)

2012年05月23日

看護師不足問題について考える

今日は、看護師不足問題について考えてみたいと思います。

看護師(古くは看護婦)の不足問題が先日ニュースで取り上げられていました。

「白衣の天使」などと呼ばれ、将来就きたい職業ランキングでも上位に

ランクインしている「看護師」という職業。

仕事の本質的には、非常にやりがいの感じられる仕事なのだと思います。

病気で困っている患者さんを助け、喜ばれる仕事、

それは素晴らしい仕事だと思います。

自分は血を見るのが嫌いなので、医療関係には絶対に就職しないと

小さな頃からずっと思ってきたのですが、仕事の内容的には、

本当に素晴らしい仕事だと思っています。

しかし、全国的に看護師が不足しているのが現状のようです。
(これは日本だけの問題ではなく、世界的に不足しているようなのですが)


なぜこんなに看護師不足が問題になっているのか、考えてみました。


仮説1:そもそも、看護師を目指す人が減っているのか?

⇒調べてみると、そうでもないらしい。
看護師国家試験合格者数の推移を見ると、増えている…
例えば、こういうデータ・・・ http://nurse.shikakuseek.com/shiken-passing.html

人気職業ランキングでも、まだまだ上位(2012年4月データ)で、8位。
(13歳のハローワーク http://www.13hw.com/jobapps/ranking.html )


仮説2:離職率が高い?

離職率についてのデータを見てみると、11~12%。
低くは無いが、全産業での平均と比べると、低い…。

これは単に離職だけの問題では無さそうですね。

仮説3:復職率が低いのでは?

これは、具体的なデータが見つからなかったのですが、
離職率が産業全体の中で比較してそれほど高くないのに、
人手不足になっているのは、復職する人が少ないからでしょう。


看護師不足について、いろいろとインターネットで情報を集めると、

結局、「労働環境が非常に劣悪」ということが原因らしいです。

その原因は、

・医療の高度化で、仕事内容が増えている

・手間の掛かる患者さんが増えている

・復職する人が少ない

あたりのようです。

また、詳しくは書きませんが、診療報酬の制度も、看護師争奪戦に拍車をかけているようです。

財力のある大病院では、看護師を確保できるが、そうでない中小の病院では

看護師不足、ひいては経営難に陥るという格差が広がっている模様です。


看護師が不足して、病床を減らされたりしてくると、

病院に行っても診察してもらえない、という状況になる日がすぐにやってくるような気がしてなりません。

夜間の緊急の診療で、何個もの病院に受け入れを拒否され、たらい回しにされ、結局診察が間に合わずに…、というようなニュースを何回か聞きました。

これの本当の原因が、看護師不足という問題のような気がしてなりません。

外国人の看護師を導入して人手不足を解消する、というような対策を聞いたことがありますが、

これは、本質的な解決にはなっていないと思います。

看護現場の労働環境が改善されるような対策が早急に打たれることを切に願っています。



  
タグ :看護師不足

Posted by 椅子張り工房・ミヤジマ at 23:44Comments(9)ニュース

2012年05月20日

シューカツに思う

就職状況が、不況の影響もあり、非常に厳しい状況のようで、

”就活自殺”という単語までニュースに登場する始末。
(例えば
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/syuukatsu/snews/20120518-OYT8T00393.htm?from=osusume&google_editors_picks=true
など。)


自分自身も、世間並みに就職活動というものは体験しました。
(今思えば、会社員になるという選択肢しか、当時は持っていませんでした)

自分の活動期は、景気も割と良く、就職活動者の超売り手市場でした。

内定も複数の会社からいただき、こちらが選ばせていただく、というような、

かなり優遇されたタイミングでした。

そういう自分が、この現状の厳しい就職状況に関してコメントするのは、

少々気が引けるのですが、とりあえず自分の意見を述べさせていただきます。


こんな状況が生み出されているのは、

社会全体が”失敗”を許さないような雰囲気になっているからなのだと思います。

例えば、学習教材の謳い文句でたまに聞く、

「これで小学校にあがっても大丈夫」等。

えっ、学校って、間違えても大丈夫な場所では無かったですか?

人は間違えることで、沢山のことを学んでいくものではないですか?

学習塾って、なんでこんなにも増えたのでしょう?

昔は、学習塾なんて、そんなに無かったですよね…。

とにかく小さい頃から、失敗することは悪いこと、ダメなこと、ダサいこと、かっこ悪いこと、

そんなふうに捉えるマインドが作り上げられているのでしょうね。

人並みに生きること、カッコイイ響きのことをやること、

ちょっとリッチな生活をすること…、

そういう方向に進むことが正しい方向性なんだ、というような考えが

社会のマジョリティになっているような気がします。

だけど、人並みに生きることが幸せですか?

世間体でカッコイイことって、あなたにとって幸せなことですか?

ちょっとリッチ、プチセレブ…、それは見栄ではないですか?


大切なことは、1/1の自分を生きることだと思うのです。

幸せかどうか、その基準は人それぞれでしょう。

ただ、無理して1.5/1などの自分を生きることは、結局はしんどいのです。


就職活動で溢れても、人材が足りない会社はいっぱいあります。

就職サイトに登録する金銭的な余裕がない会社が、世の中には沢山あります。

しかし、そういう会社の人が、不幸せな人生を歩んでいるかというと、

絶対にそんなことはないと思うのです。

だから、社会全体の流れに乗せられた、

限定された情報の中だけでの就職活動でうまくいかなかったからって、

それは、全然恥ずべきことでもなんでもない。

活躍するフィールドは、そこらじゅうにある。

ただ、それが見えていないだけ。

だから、そんなに簡単に、失敗したとか、もうだめだとか、悲観的になるのはもうやめようよ。


世の中のニーズも多様化してきた。

小さな会社でしかできないことも沢山ある。

これからは小さな会社が世の中を変えていくと、私は信じています。


就職活動のニュースなどから感じたことを書かせていただきました。  

Posted by 椅子張り工房・ミヤジマ at 01:48Comments(5)

2012年05月17日

芦田愛菜ちゃんの活躍に思う

最近、テレビで芦田愛菜ちゃんを見ない日がないほど、

テレビに引っ張りだこな芦田愛菜ちゃん。

目の下にはクマが出来ているような気がずっと前からしています。
(そういう顔立ちなのかも知れません)

芦田愛菜ちゃんの才能は、やっぱりすごいなぁと感心されることが

よくありますが、でも、やっぱり子供っぽくないですよね。

何かの着ぐるみみたいに、ちっさいおっさんが入っているのか?

というくらいの完成度の高さですね。

芦田愛菜ちゃん、本人が心の底から、小さな頃から子役として活躍したい、

楽しいからテレビに出ていないと気が済まない、ということならば、

私は何も否定しないのですが、やっぱり、酷使しすぎなんじゃないかと

思います。

芸能人というのは、基本的に事務所と契約を結んだ、個人事業主になりますから、

雇われて働かされる、という立場では、名目上はないわけで、

よって、労働基準なども適用外となります。


だから、売れっ子のタレントさんなどは、睡眠時間が一日に2時間とか、

そんな働き方をしても、別に法律に触れるわけでも、何でもないのです。


大人として、そういう事情が分かって、売れているときにがむしゃらに働く

タレントさんとかは、まぁ、そういうもんだと思うわけですけど、

子役の子達を同じような扱いをするのは、どうなんだ、と思います。
(もちろん、夜の時間帯は仕事させていないと思います)

才能がある子にしてみれば、つまらない学校に行くよりも、

自分の才能が活かせる場で活躍する方が、

その場だけを見ればいいと思うのですが、

将来的なことを考えると、子供時代は、それなりに子供らしく育つべきなのではと思います。


子供という状態で、子供でしか遭遇できないような状況で得られる体験や学びは、

一生の財産になると思います。


一世を風靡した、大橋のぞみさんは、中学進学を節目に芸能界を引退しました。

個人的には、いい選択だと思います(もっと早くてもよかったかな)。

社会人になってからでさえ、本業と副業を両立させることは、本当に難しいことなのに、

学業と芸能を両立させることは、子供にとって、大変なことだと思います。


ギャラが安くて、視聴率が取れる子役が、この不景気には合っているのかも知れません。

大人の事情で、子供を振り回すのは、子供が可哀そうです。

しっかりと調べたことが無いのですが、

子役については、週何時間まで、とかのきちんとした規則を作るべきでしょう。  

Posted by 椅子張り工房・ミヤジマ at 23:17Comments(8)

2012年05月15日

ただ長生きすることが幸せか

今日(5/14)の、NHKのプロフェッショナル・仕事の流儀は、

心臓手術の権威が取り上げられていました。

途中までしか見ていませんが、ちょっとだけ感想を書いてみたいと思います。


確かに、スゴイ技術だし、スゴイ仕事人。

医療技術はここまで進んだか、という印象を受けました。


医療技術が向上し、昔は助からなかった命も助かるようになりました。

今後も、医療技術は上がり、現在不治の病と呼ばれている病気でさえも、

技術的には助けられる時代がやってくるでしょう。

どんな病気でさえも治せるようになれば、どんどん長生きする人が増えるでしょう。


番組の中で登場した80代後半の手術を受けた男性を見ていて、ふと思いました。


その心臓の病気は、神様が与えてくださった、天国への切符かもしれなかったと。

進歩した医療技術は、その切符を捨てさせてしまったのではないかと。


もうどうしようもないから諦める、というような状況が、これからはもっと減るでしょう。

技術的に出来るのに諦めた、となると、周りの人にとって、それは、

助けなかったという罪悪感を生むことになるでしょう。


発達した医療技術は、ある意味で、不自然な状況を生み出してもいます。


与えられた命の時間以上に生きているような状況です。

人の幸せというものを考えるとき、ただ、生きていることが幸せか?

と、私は思います。

その人が持っている、自分らしさを発揮してこそ、社会に生きる意味だと思うのです。


「自分らしさを失っても生き続ける」か、「素直に自分自身の終わりを受け止めるか」

今はどちらも選択できる時代になりつつあります。

「死」を受け止めることは、誰にとっても辛いことですし、できるなら先延ばしにしたい、

できるなら避けたい、そう思うのが普通でしょう。

しかし、この選択肢があるからこそ、自然な「死」というものについて、

もっと社会全体が考えなくてはいけないと思います。  

Posted by 椅子張り工房・ミヤジマ at 15:15Comments(17)テレビ番組の感想

2012年05月15日

トヨタ生産方式導入が最良か?

(Yahooブログより手作業で引越ししているため、連続で投稿しております)


今日(5/13)のYahoo!ニュースで、こんなトピックが取り上げられていました。

「投資の神様バフェットが見た「ものづくりの原点」」
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120513-00000001-president-bus_all

自分自身、元メーカー社員ですので、ものづくりのニュースには結構興味があります。

ものづくりの方式には、トヨタ生産方式と呼ばれる、昔世界からも注目された(現在でも)、

生産方式があります。Toyota Production System の頭文字を取って、TPSとも呼ばれています。

それは、どんなものか、簡単に説明すると、

不要な在庫を無くし、必要なときに、必要なものだけを作る、という考え方です。

さまざまなモノづくりメーカーが、このトヨタ生産方式を取り入れて、

生産効率を高めたこともあり、ものづくり=トヨタ生産方式、のような雰囲気さえあります。

しかし、トヨタ生産方式を導入した会社においても、完全にトヨタ生産方式を実施できているか、

と言えば、そうではありません。

トヨタ生産方式に関する書籍を読んだりすると、結局完全なトヨタ生産方式を行なっているのは、

トヨタだけ、というようなことも書かれていたりします。

この文面を素直に受け止めると、やっぱりトヨタはスゴイよね、ということに

なってしまうのですが、私は、少し違うのではないか?と思う面もあります。

トヨタという会社は、部品を調達して、組み立てるアッセンブリメーカーです。
(自社で作っている部品もあるとは思いますが)

トヨタの工場の近くでは、納品時間に合わせて、トラックが待機している、とも聞いたことがあります。

トヨタの工場からしてみれば、欲しい時間に欲しいものが手に入っていますが、

そのために、他の所で待ち時間があったり、在庫持ちがあったりするのが現実だと思うのです。


元メーカー社員として、在庫を持つことのデメリットは良く知っているつもりなので、

自分のビジネスにおいても、在庫はなるべくもたない方向性で方針を立てています。


このYahoo!ニュースでの記事にあるように、在庫を持たないことや、

事業を拡大して、工場をいろんなところに分散させる、ということが

全ての会社において正しいとは限らないのだと思います。

どんな生産方式が最適なのか、ということは、その会社が相手にする

お客様なのだと思います。


自分の事業の在り方を考えるということは、

自分自身の能力を知り、その能力を持って、どうすればお客様の喜びと

自分の会社の利益を同時に最大化できるのか、ということに尽きると思います。

ビジネスの根幹は、そんなところにあるのではないか?、と思います。  

Posted by 椅子張り工房・ミヤジマ at 15:12Comments(25)

2012年05月15日

ビジネスとして大切なこと

(Yahooブログより手作業で引越しをしており、連続で投稿しております)


今日(5/12)の21:00から放送されていた、NHKスペシャルは、

日本のコンテンツビジネスの今後の在り方を考える特集でした。

日本に住んで、当たり前に生活の中に溶け込んでいるものでも、

外国人、別の文化を持った人から見たら、本当に素晴らしいプロダクトが

日本には溢れていると思います。


少しだけ日本以外で過ごした経験がある自分としては、

日本人の技巧と、クリエイティビティは、世界の中でも突出していると感じています。

ただ、生み出したプロダクトを、上手く商売に繋げて利益を生み出すシステムを考える、

そういう発想力に関しては、まだまだじゃないのかなぁ、と思います。

このグローバル化した現代においても、日本の持つ商品開発力をうまく生かしていけば、

衰退しかけている日本の産業も、まだまだ世界で活躍できると信じています。


自分の事業は、とても小さな規模ですし、目指している方向性も、

グローバル企業とは違います。

しかし、ビジネスというひとつの括りとして見れば、

グローバル企業とも、共通する部分や自分の事業に応用できる部分が沢山あると思います。

そう考え始めてから、テレビの経済ニュースや、ワールドビジネスサテライトというような番組、

ビジネス書、新聞の経済欄等、非常に興味を持つようになりました。

自分の事業においても、自分の持っている”いい部分(強み)”というものを、

マーケットに対して最適化できるように、今後ともいろいろと勉強していきたいと思っています。  

Posted by 椅子張り工房・ミヤジマ at 15:09Comments(6)ニュース